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読者レポート江戸東京野菜の魅力

読者委員
髙山 千代(たかやま ちよ)

 「京野菜」や「鎌倉野菜」等、最近、その土地独自のブランド野菜について見たり聞いたりする機会が多くなりました。
 これらに比べて目にする機会は少ないものの、東京に「江戸東京野菜」というブランドがあることをご存じですか。「江戸東京野菜」について、東京都農業協同組合中央会(JA東京中央会)の水口均さんに詳しく教えていただきました。

「江戸東京野菜」とは

 「江戸東京野菜」とは、昭和40年頃まで数世代以上にわたり、都内の農地で栽培されていた在来種、または現在もその当時の栽培法により作られている野菜を言います。JAや東京都職員、農業者等11名の委員から構成された江戸東京野菜推進委員会では、平成23年から毎年一回、前述の定義による野菜を「江戸東京野菜」として認定しています(平成28年10月現在で42種類)。江戸時代の「江戸」と呼ばれる地域は現在の東京と比べるとかなり狭いエリアで、現在、農業生産者もおらず「江戸野菜」は存在しないため、対象地域を「江戸」から広げ、「江戸東京野菜」という名称にし、広く東京で生産された野菜を「江戸東京野菜」と定めました。

「江戸東京野菜」の代表例

小松菜

 8代将軍吉宗が鷹狩りに行った時に小松川村(現在の江戸川区近辺)で休息し、そこで食べた青菜が大変気に入って、地名から名付けたとされている話は有名です。ビニールハウスで年6回収穫され、一年中出回っている緑色の品種改良された現在の小松菜とは違い、「江戸東京野菜」である「伝統小松菜」は黄緑色で冬だけしか収穫されていないものです。まさに旬のものをおいしく食べていたのだと思います。

大根

 「江戸東京野菜」の大根は数種類ありますが、どれも現在の大根より大きいそうです。そのうちの「大蔵ダイコン」の形は、寸胴で煮大根として調理に、適しています。これらの伝統大根は、漬物にするのが主な用途となっています。おろし大根にすると辛く、何より大きいので、昭和39年の東京オリンピック以降の洋風化の影響もあり、現在は売れないそうです。そこで青首の小さな大根が主流になりました。確かに今の大根は小さめ、大きいものは2分の1サイズで売られています。江戸時代の人々は年貢米と漬物という食生活をしていたため、「たくあん」としての大根の需要があったようです。
 冬場には、高幡不動駅前や七つ塚ファーマーズセンターなどで江戸東京野菜である「東光寺大根」を使った「東光寺たくあん」が売られているということです。

ナス

 「江戸東京野菜」のナスの中には、寺島村(現在の墨田区近辺)が名前の由来といわれる「寺島ナス」等があります。江戸時代の人々は、武士の習わしで胴に刃を入れることは、腹切りにつながることから好まなかったので、切らずに食べられるサイズが主流だったとのことです。皮は固いものの、火を通すと柔らかくなり、おいしいそうです。武士は、料理で「切る」ということを忌み嫌ったそうです。

カボチャ

 内藤家の下屋敷(現在の新宿区近辺)の菜園から広まったものとして「内藤カボチャ」という日本カボチャがあります。しかし、皮が固く、甘さも少ない日本カボチャは、現代ではほとんど需要がなく、出回っていません。大半は、西洋カボチャでホクホク甘い栗カボチャです。しかし、スープやスイーツは甘さも少なく、さらりとした日本カボチャの方が向いているそうです。今もわずかに見かける日本カボチャを大いに利用したいものです。

種でつながった「江戸」と「地方」の野菜

 江戸の農業は、参勤交代と深い関わりがあります。野菜等を生産する畑のあった下屋敷が江戸城を取り囲み、下級武士や下働きが住んでいました。参勤交代で江戸へ来る際、それぞれ地元の野菜種を持ち込み、野菜を収穫して食べていました。このため、地方の野菜とは異なり、全国から集まった江戸の野菜は、数多くの種類が存在したのです。
 また、農家は下屋敷の外側にも存在したため、江戸に持ち込まれた野菜の種は、周りの農家にも広がっていきました。その際、場所の名前がつけられ、例えば、「内藤カボチャ」は産地が移るたびに「角筈カボチャ」、「淀橋カボチャ」と江戸の中でも名前が変わっていきました。
 参勤交代で国元へ帰る時、江戸の野菜の種をお土産として持ち帰り、地元の野菜として定着したものもあります。例えば、「三河島菜」(葉物)は仙台藩の足軽が「三河島菜」の種を地元に持ち帰り、「仙台芭蕉菜」として現在まで残っていました。そのため平成に入り、江戸東京野菜として「三河島菜」を復活させることができました。

「江戸東京野菜」の魅力

 「江戸東京野菜」は、同じ伝統野菜でも手に入りやすい「京野菜」等とは違います。食生活の変化で野菜の需要が減った上に、栽培に手間がかかるため、生産者も300名程と少なく、旬の時期しか栽培されません。
 市場で広く出回っていないため、「江戸東京野菜」は、ほとんど購入できないのが残念です。しかし、都内には「江戸東京野菜」を使用して、料理を提供する料亭や食堂があるそうですので、料亭などで上手に調理された「江戸東京野菜」を味わいたいと思います。
 水口さんのお話を伺い、野菜の歴史だけでなく、江戸時代の人々の暮らしぶりもよく分かりました。「江戸」では農家が野菜と肥料(下肥)を交換するという効率的なサイクルが成立していたそうです。「もの」を上手く活用する精神をしっかりと持っており、今の私達の「もったいない」の精神にも通じるのではないでしょうか。農産物を種で全国に運ぶ「種屋」という職業が江戸時代、既にあったことにも驚きました。
 このようなしっかりとした基盤があってこそ、伝統野菜が作られ、今の東京の農業へ発展してきたのでしょう。和食が世界から注目されている今、四季のある日本において、旬を大切にした「江戸東京野菜」を、より多くの人に知っていただきたいと思います。

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