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くらしを彩る時季の催しをご紹介 東京彩祭(とうきょうさいさい)

世田谷のボロ市(世田谷区)

くらしの彩祭話々(さいさいわわ)

世田谷のボロ市

 世田谷のボロ市は、毎年12月15日・16日と1月15日・16日に開かれ、4日間合わせて約80万人の人手で賑わいます。通称・ボロ市通りの両端に700軒以上の露店が軒を連ね、売る人・買う人・食べる人でごった返す光景は、年末年始の風物詩になっています。
 この催しにはなんと、450年近い歴史があります。戦国時代末期の六斎市に起源を持つことが歴史史料により明確で、現在に至るまでその変遷をたどれる事例として、東京都の無形民俗文化財にも指定されています。

 江戸時代、世田谷周辺は農村でした。市は毎年12月15日に開催され、住民が正月用品や日用品、農機具などを手に入れる「歳の市」として欠かせないものでした。そして、明治になり新暦が採用されると、1月15日にも開催されるようになりました。当時の農村では、依然として旧暦で年中行事を行うところが多く、新暦の12月15日では正月の準備には早すぎたのです。
 「ボロ市」となるのは、明治20年代以降です。古着やボロ布が近隣農家から圧倒的な人気を博し、商品の主流になりました。最盛期には十数軒のボロ専門店が出店し、午前中にはほとんど売り切れたといいます。当時の近隣農家にとって、農閑期のわらじ作りは現金収入になる大切な副業で、ボロ布はわらじを丈夫にしてより高く売るために必要な材料だったため、需要が高まったのです。
 さらに明治30年代になると、16日にも市を立てることが恒例になり、現在と同じ日程で開催されるようになりました。

 その後、交通機関の発達などにより、世田谷は農村から住宅地へと様変わりしました。住民の生活の変化にともない、ボロ市で扱われる品も変わりました。そしてそれこそが、この催しが住民の暮らしと密接に結びついている証拠といえます。
 現在、ボロ市の保存と運営を担っているのは、「せたがやボロ市保存会」の皆さん。江戸時代に当地の代官を務め、それ以降も地区のまとめ役を担ってきた大場家の16代当主・大場信秀氏を中心に、地元住民の方々が、幾度の時代の変化にも途絶えなかった伝統を守ろうと努力されています。

【参考文献】
世田谷区立郷土資料館(2011)『ボロ市の歴史 改訂版』
せたがやボロ市保存会(2014)『ボロ市のあゆみ』

今月の催し

世田谷のボロ市

  • イベント日時
    平成28年12月15日(木)・16日(金) 9時~20時
    平成29年1月15日(日)・16日(月) 9時~20時

会場概要

世田谷区世田谷1丁目にある通称「ボロ市通り」とその周辺
  • アクセス
    東急世田谷線「世田谷」駅または「上町」駅から徒歩3分
  • 問合せ先:
    03-5432-2831(世田谷区世田谷総合支所地域振興課)
    03-3429-1829(世田谷ボロ市保存会、当日のみ)

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1578(天正6)年に世田谷ボロ市の起源となる楽市を開いた戦国大名は?
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